ダウン症児を授かって【2】妊娠初期後半・つわりが快方へ

ダウン症児を授かって

シリーズ「ダウン症児を授かって」第2回目です。

シリーズ前回の日記【1】はこちら

ありがたい点滴

つわり中は、産婦人科の主治医が点滴を勧めてくださり、計3回打つことができました。

点滴する場所は産婦人科ではなく、☆総合病院内の点滴室へ案内されました。
初めてのときはなにも知らず、すぐ終わるだろうと思っていたら、まさかの3時間以上かかることが分かり、スマホの入ったカバンは手の届かない場所へ・・・
時すでに遅し。眠るか天井を見つめるしかありませんでした。

2回目はスマホと本を手もとに置いてからのスタート。
隣のスペースから驚きの会話が聞こえてきました。
「すみません・・・後がつかえてきましたので、別室に移動していただけませんか」

えっ?点滴しながら場所変えるの?
急にスマホでゲームなんかしてたらまずい気がして、あわてて本に切り替えました。
後で点滴室の看護師さんに聞いてみたら、病床も人手も足りないので、症状が軽めの人はこうなってしまうとのこと。
医療現場の深刻な部分を垣間見てしまったようです・・・

3回目はすっかり常連気分だったのですが、少しずつ元気を取り戻してきたので、これで最後にしました。

ダサダサの胎児ネーム

妊娠したら、定期検診がたまらなく楽しみになりました。
☆総合病院は、エコーのモニターを見せてくれるようなサービスは一切ないため、先生の言葉だけが頼りです。
撮影した写真はもらえるので、赤ちゃんに会えるわくわくでいっぱいでした。

エコーの写真は大切に保管して、その写真を見ながら主人と感想を言い合いました。
8w5dの写真から、顔や手足の輪郭が見えるようになり、驚きました。
すでに顔の輪郭が主人と同じだったので、大うけ!
しかもドラえもんみたいだったので、主人の名前の一部を取って
「たきえもん」と呼ぶことにしました。


↑見えにくいですが、当時のエコー写真とメモ書きです。
赤ちゃんのサイズからの計算値は9w3d判定だったけど、誤差が4日だけだったので、そのまま変更せず8w5dということになりました。
出産予定日は当初の予定通り、2017年(平成29年)2月5日で決まりました。

つわりが治ってきた

妊娠12週(4ヶ月)ごろになると、食べる量が少しずつ増えてきて、つわりが落ち着いてきました。
お茶、お米、きゅうり、トマト、なす・・・等、受け付けられなくなっていたものが、一つずつ食べられるように。

食べた後はあいかわらず吐き気!でしたが、だんだん良くなっていることを実感する日々。
つわりとは、私にとっては「逆流性胃腸炎のひどい状態」みたいなかんじでした。
油っぽいものを受け付けられるのは一番最後でした。
最後から二番目が揚げ物。
一番最後はカレー。
17週でようやくカレーを食べられた日の感動といったら!

主人が出生前診断を勧めなかった理由

妊娠するよりずっと前に、主人が「出生前検査すべき」と言ったことを、前回の日記に書きました。
だけど、結局のところ何も言われなくて、検査できる時期をうまく逃れることができました。
私はラッキーと思い、その話題には触れずに最後までいくつもりだったのですが、
あるとき主人のほうから言ってきました。

「とびびがつわりで苦しんでがんばってるの見て、出生前検査しろって言えなかったよ。まあ、万が一障害を持っている子が産まれてきたら、大切に育てるしかないね。」
それを聞いてどんなにうれしかったことか。
ただ、私の本心は「障害の覚悟も大切だけど、自分は大丈夫な気がする。そう思いたい。」というものでした。
そして、そのときは障害というものに暗いイメージしか抱くことができず、無知でした。

運転中はとくに胎児に話しかける

妊娠したらお腹に自分とは違う生命が宿っているわけですから、妊娠が分かった瞬間から、存在を意識して話しかけていました。
「おかあちゃんはね、、、」とか言ってみたり。
特に運転中は暇なので、話しかけたり歌ったりして、胎教のチャンス。

ある友人で、お金を払って胎教の教室へ行き、「産まれるときは、楽にスーッと産まれてきてね」と語りかけ続け、本当に安産だった子がいます。
胎教教室はちょー怪しいと思ったけど、話しかけて損はないので、私もお腹の赤ちゃんに安産を依頼しました。
(結果としては、あまり関係なし?)

また、直感で自分のお腹の子は男ではないかと思い込んでいました。
だからよけいに「たきえもん」です。
周りの年配の方々からも「その腹の出方は男に違いない」「つわりがあるのは男だからだ」とか言われて、その気になっていました。
全ては、何の根拠もないことばかり・・・

マタニティーハッピーで幸せホルモン分泌

前回の日記で断薬の話しを書きました。
私の社会不安障害の症状は2種類ありました。

①昼間出るちょっとした恐怖症
→薬をやめても大丈夫そうだけど勇気が出ない

②夜間眠れない(きつい不眠)
→薬はぜったい必要

それが、断薬後はどうなったかと言うと

①昼間
→最初はこわかったけど、挙動不審になったときつわりのせいにしようと開き直ったおかげで、どんどん大丈夫になった。

(つわりという状況が、認知行動療法の大きな支えとなったのです)

②夜間
→今までのことが嘘だったみたいに、ぐっすり眠れるようになった。

つまり、長年苦しんできた症状から、ようやく解放されました。

妊娠中は(特につわりが終わったら)幸せホルモンがいっぱい出て、脳がふんわりリラックスしていました。
☆総合病院の精神科で「あなたは今まで、抗うつ薬を処方されるべきだったと思います」と言われたことを、私なりに理解できました。
抗うつ薬を飲んだことはないけれど、もしかして脳や神経がマタニティハッピーに近い状態になれたのではないか、と。(過剰な期待かもしれませんが)
そうすれば、抗不安薬という頓服でごまかし続けるより、しっかり治せていたのではないかと思えました。(あくまで想像ですが・・・)
最終的な根っこの部分は、まとまった休息を取ることや、考え方・生き方を変えることなのでしょう。

だから一番心配したことは、産んでしまえば突然マタニティハッピーが終わるんじゃないかということでした。
産後のボロボロの体でいきなり辛い育児、夜泣きの赤子をあやす日々が始まり、
私のような者はうつになるのかもしれない!気を付けなきゃ、と思いました。
一番最初に門前払いをくらった産院の医者からも、間違いなくお前は産後うつになると言われ、腹が立ったけど、それもたしかに一理あるのです。
できるだけ人を頼りながら、うつを避けるようにしよう!と決めました。

まさか、想像を超えた親孝行の赤ちゃんが生まれてくるなんて、知る由もありませんでしたが。

ちなみに、産後から2年経過した現在も、薬は飲まず、夜もぐっすり眠ることができています。
私の社会不安障害(そして軽鬱)は完治したのか?それは分かりません。
97%治ったと考えるようにしています。
あとの3%は、再発への警戒として残してあります。
今後の人生は、できるだけ真面目すぎず、なるべく背負わず、なんでも一人でやろうとせず、人を頼ろうと思っています。

普通のようで普通でない。それが私の障害なのかもしれません。
一体普通って何だろう。障害って何だろうと思います。
ありとあらゆる症状すべてに障害の名前を付けてしまうなら、障害のない人間なんて一人もいなくなるかもしれません。
人間は完璧ではないですもんね。

続き 【3】妊娠中期・ライブでノリノリ胎児
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