こんにちは。ダウン症の7歳児(2024年10月現在、特別支援学校の小学2年生)の母、ぴょこりんママです。
今年度はPTA役員になった関係で、富山市内のセミナーに参加しました。
タイトルは「将来の生活設計のために本人•家族が準備していくこと」
講師は綿(わた)祐二先生でした。
正直、興味のあるテーマではありつつも、開催地は遠いし体調もイマイチで足が重かったのですが、
あまりに引き込まれる実践的なお話しを聞いて感動し、体調のことも忘れ、セミナー中ずっとメモを取る手が止まりませんでした。
これを同じ立場の人たちに共有したい!という思いで、久しぶりにブログを更新します。
共有するのは殴り書きのメモをそのままテキスト化したものと、私個人の感想です。
セミナーで配布されたレジュメは掲載しません。
もしこのようにセミナーの内容を書くことに問題があれば、ご指摘いただけたら削除します。
非常に良い内容なので、一人でも多くの方とシェアできますように。
2024年7月 タイトル「将来の生活設計のために本人•家族が準備していくこと」
講師の紹介
現在60才の講師、わた(綿)先生は6人家族の末っ子。両親と3人の兄姉は皆障害者。
唯一の健常者だった講師は20才で入所施設を立ち上げ、現在まで様々な障害福祉サービスを展開するとともに、日本福祉大学の教授でもある。障害者の生活設計のスペシャリスト。
はじめに
障害ある子のライフステージごとの課題を解決しておかないと、大人になってからすでに解決すべき課題を持ち越すと安定した生活を送りにくくなる。
今のうちから備えをすることについて、具体的にお話しいただいた。
親子共依存で8050問題(親80才、子50才無職同居)の泥沼にはまってはいけない。
昔は障害者のことは親が全て抱え込んで全部なんとかしなさいという時代だったが、今は放課後デイや福祉事業所がある。
福祉は時代によって様変わりするので、ついていかなければならない。
今は国や県が何もしてくれなくなったときにどうするかを考える時代に入っている。
第7期障害福祉計画から、企業が福祉に参入するようになったが、最近めぐみグループが摘発される事件があった。
食事代として徴収していたお金の7割を搾取し、ひどい食事を提供していた。
親のチェック機構を作っていかなければならない。
「どう生きるか」を考える3つの重要ポイント
どう生きるか
1.日中活動
2.居住
3.後見
この3つはリンクしており、全て親亡き後に繋がっている。
支援学校の先生方には大変申し訳ないが(ステージ上で先生が何度も前もって謝罪されていた)
学齢期6、3、3(小、中、高)が将来設計の邪魔をしている。
特に高等部は大人に送り出す準備をしないと、荒波が待ち受けている。
学校は子供2人に先生1人だが、社会では最重度知的の人でも4人に対して1人しか付かない。
国の基準は10人に1人つけることになっている。
自分から言わないと放っておかれるよ?と教育する。荒波の準備をしよう。
大人になるときの3つの壁(3はタイトルのみ)
大人になるときの3つの壁
1. 18才の壁(障害支援区分を受ける)
2. 年金の壁
3. 主治医の変更(小児科を卒業)
1. 18才の壁
障害支援区分は1〜6まである。
正直言って5〜6を取らないと生きていけません。
サービスの量と質がこれで決まります。
事業所を運営する側の立場として、入所施設に多くの希望者が殺到します。
その中で(障害支援区分)4、5、6の人が申し込みされますが、5〜6の人の書類しか見ません。
なぜなら(当然人数制限ある中で重度の人を受け入れるべきであると同時に)事業所に入ってくるお金の問題もあるからです。
区分を決めるのは行政ワーカー。
自分でおしっこできますか?という質問に、多くの親はできると答えますが、それは違います。
その子が便器からおしっこをこぼさずにちゃんとできますか?
そのこぼした汚物は親が掃除していますか?
本当に完璧にできないなら、それは「できません」です。
そうしないと、その子が粗相をしてもお母さんの代わりに助けたり掃除してもらえるサービスは受けられません。
子供ができるときの状態ではなく、1番できないとき(オシッコをこぼす、たまに癇癪を起こす、フリーズする等)が時々あるなら、それはもう毎日できないという申告でいいし、そうする権利があります。
(実際に講師が行政との話し合いでその権利を認められたというような話しがあった)
子供が1番できていない時の証拠動画をたくさん撮りましょう。
それを行政ワーカーに見せましょう。
↑すみません、筆者はまだやってません。
2.年金の壁
お金の面で自立させなければ、いつまでも家にいる(共依存の80 50の泥沼になる)ことになります。
年金1級…約8万円(生活介護など)
年金2級…約6万円(就労Bなど)
次はゼロ
親亡き後の居住もからめて考える。
(配布されたレジュメの中にある、収入と支出のコストバランスシートを見ながら)
支出はだいたい9万と考え、親の支援ゼロで収入9万をキープするには?
収入は各種手当をあてにしないで、もし給与だけで生きようとするとどうなるか?
支出とのバランスも考え、シートを参考に書いてみましょう。
↑この表は、最重度の人の収入•支出の例
重度の子たちのほうが生活設計を立てやすい。
8050問題に当たるのは、できそうでできない子。上を目指す子たち。
たとえ就労A型で働いてもクビになるパターンもある。年金はゼロ円。
学校はもっと上に行かせてあげたいという方向性だが、それに乗ると生活できなくなる泥沼にはまる。
(筆者記:できる限り重度判定をもらわなければ生きていけないということが分かった。
その手段でようやく収入と支出のバランスが取れる。それが障害者の自立。目からウロコだった。)
ある人は、うちの娘はパッチワーク大好きで、これで生きていこうと思いますと言った。
しかし正直なところ、その人らしさというのはいったん置いておいて、生活を安定させることが最優先課題である。
生活設計を立てて自立できていなければ、それで生きていくのは不可能である。
(パッチワークの人は結局、年間数枚作って、1枚数千円ということでほぼ収入ゼロだった。)
まず将来の居住を考えてから、通所(生活介護、就労A、B)を考える。
年金は1級にしておいて、グループホームを作る。
25歳独立論(グループホームを作ろう)
綿先生は「25歳独立論」を提唱する。
多くのグループホームが、居住者の加齢に対する変化についていけていない現状。
知的の子は若い時は元気だが、加齢とともに医療ケアや介護が必要となる。絶対に。
このようなことに対応したグループホームを見つけ、生涯看取ってくれる場所を探そう。
医療型グループホームを探そう。
なければ作ろう。
グループホームを作るのは簡単なので作りましょう。
障害ある子が20~25才で、親が協力しあってグループホームを始める人が多い。
3年くらいで設立できる。
現在は入所者20人くらいの規模まで作れるようになった。
土地は買わず、定期借地にして毎月徴収した家賃から払うほうが良い。
20名で作る場合、一人500万円ずつ集め、残りは補助金で作れる。
グループホームは儲かるものではないので、社会福祉法人は作ってくれない。
障害者の家族が自分たちで作ろう。
たった500万円(子どもの障害年金を貯めたらあっという間に貯まります)で
障害ある子の生涯の住処と考えたら、安い金額である。
グループホームは子どもたちのためのものなので、1部屋ずつその人に合わせてカスタマイズしよう。
音がだめな子には防音壁を。
室内カメラ等、障害の特性に合わせた部屋に。
内装も本人の落ち着く環境にする。
ここを終の棲家(ついのすみか)にしなければ、年老いた親のもとに戻ってきてしまう。
週末は実家に帰ったりするが、自立とともに、少しずつ実家に寄り付かなくなる。
子どもの親離れは3か月で完了する。
親の子離れは1年かかる。
障害ある子もちゃんと変化に対応できる。
なぜ25歳独立論なのか
25歳というところで線を引いて、「いつか」と言うことはやめましょう。
25ではなくても27でも30でもいい。
ズルズルをやめて区切りをつけましょう。一気にやりましょう。
グループホームから支援学校の高等部に通うパターンもある。早くても良い。
週末は実家でのんびり過ごせばよい。
後見人、財産管理、身上監護について
後見人は「財産管理」と「身上監護」を目的とする。
後見人制度はギリギリまで使わないで下さい。月々5-6万円の支払いであっという間にお金が無くなります。
「財産管理」
貯金の管理は、社会福祉協議会が「通帳預かり制度」というのをやってくれるので、そちらを利用しましょう。
(預金500-600万円まで)
預金何千万などであれば後見人制度を利用しましょう。
身上監護について。
子どもの人生の閉じ方、死の迎え方、命の閉じ方について、グループホームにちゃんと伝えておくこと。
延命はどうするか、がんのとき等。
現在ほとんどのグループホームがやっていないので、やるように(講師が)働きかけ中。
子どもにはお金をあまり残さないこと。葬式代と医療費は残す。高額医療費は国の補助がある。
子どもの障害年金を貯めたらどうなるか?3000万円貯めたとしても、子どもが死んだら国に没収される。
親の財産相続は、兄弟いたら規定通り50、50で分けること(障害ある子に多めに分配ということはトラブルの元となる)
セミナーの締めくくり
「親心の記録」書きましょう。
https://oyagokoronokiroku.jp/
(筆者記:やべーうち3冊も持ってるのに1回も書いたことない!)
高等部になったら、将来設計に向けて日中と居住を考えましょう。
最後に…
「あたりまえの生活を、あたりまえに。」
子どもがあたりまえの幸せを生きられるよう、行動しましょう。
質疑応答コーナーの一部メモ
【質問】軽度知的なので、がんばって就労Aにするか悩んでいる
【回答】就労Aは期限がある。無理せず就労B(無期限)で力をつけてから、就労につながることをお勧めする。
(身上監護の話題で)
【回答】たとえばダウンの子は、老いたらまず嚥下機能がやられる。
閉じ方を伝えることに関して、胃ろうはOKにするのをお勧めする。
胃ろうしても口から食べることができる。
ぴょこりんママ感想(朗報あり)
【セミナーを受けた直後の2024年7月の感想】
子どもの人生設計について、具体的にやるべきことのポイントを、現場を知り尽くしたスペシャリストからご指南いただいて、非常に有意義な1時間半でした。
講師の先生は60歳なのに若々しく軽快な口調で、障害福祉をより良いものにしようとする熱いパッションを受け取りました。
先生はお母さんが全盲、お父さんも障害者、お兄さんお姉さんたち3人は、脳性まひ、重度知的障害等だそうで、
ご両親がPTAに出られないので、兄や姉たちのPTAに参加して、非常に可愛がられたとのことでした。
当時は放課後デイなどないので、兄や姉たちのお迎えなども自分がやっていたという、どう考えても壮絶な人生なのに、なぜ死ぬほど明るいのかそこも気になりました。
そして我が子の将来のこと・・・
私はダウン症の一人娘の将来像については、
なーんとなく「ヘラルボニーと契約してくれるようなアーティストになってほしいなー」と幻想を抱きつつ、
現実としては「近くの就労Bなどで日中過ごしてもらって、30歳になるまでに居住施設に入れてもらえないかなー。定員いっぱいで難しいのかなー。できれば親子型グループホームで私の老後もフォローしてもらいたいなー。グループホームを作るなんて金持ちでもやり手でもないから無理だわ。」
と、その程度に漠然と考えていました。
これではやばいと思いました。思考が8050に向かっています。
娘の年金をあてにした生活スタイルになりかねませんでした。
あと、努力して給料を少しでも多くもらえるところに就労したほうが立派、的な考えには、今の娘の姿を見ているともやもやしていました。(7歳の夏、現在は一瞬でも目を離した隙に全裸になってシンクで水浴びするような子です・・・笑)
このセミナーを通して、
何かとてつもなく努力することではなく、ちょっとしたことで未来が変えられるのだと分かりました。
子どもができるようになる努力、上を目指したり自己実現する、それも大切なのだけれども、最優先課題はそちらではない。
あたりまえのことをあたりまえに出来る幸せな生活のためには、できないことを無理させるのではなく、そのままで安心して生きられる道を親が備えてあげることが重要なのだと、知ることができました。
グループホーム、お友達に声かけて実現したいな。今から勉強すれば十分間に合うかなと思いました。
今回の記事は、障害が軽度である方や、すでに成人されて問題を抱えておられる方を悩ませるような内容かもしれません。
それに計画通りすんなり物事が進むとは限らないし、どうしても親離れ子離れができないケースもあるかもしれません(うちかも・・・)
それでも、生きる術としてこういう知識を持っていて、そこを目指して何歳からでも向かってみる価値はあると思いました。
1歳でも若くて健康なうちに、最後まで読んでくださった読者様と一緒に頑張れたら幸いです。
【2024年10月の感想(上を目指しても大丈夫かも)】
今月、学校PTA行事で「卒業生の保護者との座談会」というものに出席しましたが、朗報です。
就職して10万以上もらっている方、
就労Aで6万もらっている方も、
ちゃんと障害年金2級を受け取って、それなりの収入ということが分かりました。
どちらの親御さんも、お子さんは給料を使い切ろうとするタイプみたいで(笑)
給料以外の障害年金の存在を隠して、貯めているとのことでした。
だから、必ずしも上を目指してはいけないわけではなく、2級でも安心して暮らせるのではないか?と思ったわけです。
我が子ぴょこりんちゃまも、この夏ひらがなの勉強に自発的に取り組み、びっくりしています。
まさか、今もまだ赤ちゃんのような行動をして、多動なうちの子が!です。
だから、伸びるかもしれない可能性を感じてしまいました。
伸びることはいいことだから、止めないで見守っていきたいです。
親亡き後問題については、まだまだこれから勉強して、ブログでみなさんに情報発信できたらと思います。